キャッシュレスの多様化。支払い手段の自由を求める大行進

 

あらゆる買物の場で、キャッシュレス化の流れは止められない。すでに国内の個人消費における現金決済の比率は5割を切ったとする統計も見られる。

クレディセゾン 17年3月期決算説明会資料より

 

いずれ欧米諸国や韓国、中国のように、キャッシュレス決済が大半を占めるようになる。海外と日本では状況が違うという意見もあるだろうが、いま日本で台頭しているさまざまなペイメントサービスが潮流を変え、国内の決済状況をこれまでと違ったものにしていく。

現金に縛られていた決済手段は、さまざまな動機によってキャッシュレスにシフトする。この流れは止められないし、止めるべきでもない。

 

キャッシュレス化とは、支払い手段の自由化


 

流れを「止められない」というのは、人は支払い手段に自由を求めるからだ。

自由へと駆り立てる欲求には、人それぞれ「このポイントが貯めたい」と考えることがある。それに付随して生まれるメリット、小銭を使わなくて済むとか家計簿アプリと連動が簡単といった利点も数知れない。ただ、根本にあるのはクレジットカードにせよ電子マネーにせよ、貯めたいポイントを貯められることが人々を現金以外の決済に駆り立てる。

また、流れを止める「べきでない」とは、現金の流通量が減ることで、人々の利便性や店舗の作業負担のみならず、世の中全体の効率化につながるからだ。

現金をハンドリングする手間から解放され、現金を処理するあらゆる設備が取っ払われて、何か困ることがあるだろうか?足のつかない決済手段がなくなることで、アングラな目的を持つ人が困るくらいだろう。

セキュリティに関しては、追跡不可能なキャッシュこそ問題だ。プライバシーの問題は、情報技術で対処すべきことで、キャッシュレスかキャッシュかの2択で議論することではない。

支払いの自由を実現するキャッシュレス化は進むべきであり、この潮流を阻もうとする壁は崩される。

この流れは、たとえれば1990年前後に東欧の人々が自由を求めて東西分断の壁を壊し、手当たり次第に独裁政権を崩壊させたように進む。または2010年以降、中東の人々が自由を求めて、やはり手当たり次第に既存の体制を壊したように、といってもいい。

支払い手段の自由を求め、日本のキャッシュレス化は2020年あたりを目標に爆進していく。それではキャッシュレス化の行進は、自由を求める行動のように何かを破壊するだろうか?

 

マネーは何も破壊しない。ただ疎外する。


 

キャッシュレス化に向かうマネーの潮流は、政治的な自由を求める人間よりは暴力的ではないので、物理的に何かを破壊することはない。ただ、潮目の変化に合わせられなかった企業や、現金の取り扱いをベースにしたさまざまなモノやシステムを、過去のレガシーとして取り残していくだろう。

マネーの変化は(時代と置き換えても同じことだが)、暴力を振るわない代わりに、変化に与しないものを徹底的に疎外する。現金に固執すればするほど、マネーからは疎外される世の中になっていく。

たとえば現金決済しかできない店。すでに我慢の対象だが、やがてシカトの対象になる。

たとえば代引きにしか対応しない通販。そんなものはすでに存在しない。それとも、する? 絶対にないと断定するのは難しい・・・。

いずれにせよ、そういった店が誰からも利用されるとは思えない。マネーが多く流れ込むとは考えにくい。

 

キャッシュレス化に絶対の価値はあるか?


 

では、キャッシュレス化が実現する利便性と効率に、絶対の価値があるのか?

それは分からない。中東の恐ろしい現状のように、自由を求めた先がただの無秩序、ということもある。自由になればすべてがハッピーとはならない。むしろ自由の代償は、それなりに大きいかもしれない。

それでも、キャッシュレス化を推し進めるのとは反対に、現金に固執し続けるよりはマシだろう。

現金はいずれ撲滅される・・・。そこまで極端な未来は予想できないが、撲滅して困ることも本質的にはさほどない。なくていいなら、なくした方が社会は効率的になる。

これからの十数年は、現金だった支払い手段がフィンテックによって一変していく時代になる。キャッシュレスの世紀というこのブログのカテゴリー名は、そんなつもりで使っている。


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